私の人生で初めての妊娠は、流産に終わりました。
この記事では流産してから退職するまでの流れや、その後の生活がどんなものだったのかを書き記したいと思います。
同じような境遇の方の、道しるべになれば幸いです(^^)
流産の事実を職場へ報告

流産という診断を受けたのは、妊娠10週のときでした。夜お風呂に入る前に、トイレにいくと出血がありました。
私はこのときまだ会社員として働いており、次の日は出勤の日。
会社に「出血があったので受診してから出社させてください」と電話を入れ、受診しました。
結果、稽留(けいりゅう)流産という診断がくだりました。
稽留流産とは
妊卵(にんらん)(受精卵)や胎児(たいじ)が、すでに死亡しているのに、子宮内にとどまっている状態です。
稽留流産では、はっきりした自覚症状がありません。出典ーコトバンク(家庭医学館の解説)より
診断を突きつけられたことももちろん辛かったですが、
「今診察を受けてきたんですけど…、流産してました」
たしかそんな風に伝えたと思います。半泣きで。
自分の言葉が自分の胸に突き刺さるような気持ちでした。
電話に出た上司(40代男性)は、余計なことは言わなかったけれど心配してくれているのがよく分かりました。
なんという言葉をかければ良いのか迷ったと思いますが(
実は妊娠8週のときに、妊娠した旨はこの上司に伝えていました。
その前提があったため、まだ話がしやすかったですが、これが公表する前だったら……。
話すことが余計にしんどくなりそうですね。

流産が分かった翌日には手術をしました。
手術について詳しく書いている記事はこちらです。
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退職を決意したときの伝えかた


私はこのとき、朝は七時半に家を出て、帰宅は七時頃という生活をしていました。
妊娠した状態で一日のうち12時間外に出ている生活というのは、かなりこたえるものでした。
無理をしていました。
つわりがある時期だったので、なおさらです。
(※稽留流産は、母体が無理をしていたことで起こるものではありません。受精卵の染色体異常という説明を受けました)
次に妊娠するときには、仕事をしていてはいけない。
何かあったとき、体をすぐに休めることができる環境で妊婦生活を送らなくては。
そう思い、流産から一週間後には退職を決断しました。
前出の上司に確認すると、私が流産したために、まだ仕事は続けるだろうと退職の手続きをストップしてくださっていました。
その気持ちをありがたく受け止めつつ、上記の考えをそのまま伝えました。
そして、退職の手続きを予定通り進めてもらうことをお願いしました。
上司にはよく理解していただき、円満に退社することができました。
夫も私の考えを尊重してくれて、退職の日には「今までお疲れ様」
退職後のベビ待ち生活


さぁ、退職も決まったところで、赤ちゃんいつでもカモン!という状態になりました。
しかし不思議なもので、万全な体制が整うと、なかなか妊娠しないんですよね…(^^;
社会とのつながりがいきなり途絶え、自由な時間がいきなり増え、何するべ?な毎日でした。
私の生活の目的は「妊娠すること」に集約されてしまっていました。
それなのになかなか妊娠しなかったので、焦りが常にありました。
何か勉強を始めれば良かったのですが、妊娠したら中途半端になるな……と思うと、身が入りませんでした。
失業手当の給付も終わり、いつ妊娠するのかも分からない。
このままの生活もなんだか嫌だなと、バイトを始めました。
二週間後、妊娠が分かりましたΣ(-∀-;)
バイトはすぐに辞めました。
- 本当に自分は妊娠できるのか?
- 出来たとして、それはいつなのか?
- つわりの重さはどの程度なのか?
- 出産まで普通の生活を送れるのか?
妊娠って、不確定要素がとても多いんですよね。



見通しが立たないからこそ、妊活中は不安になります。
「妊娠」にばかり気がいってしまわないように、自分の好きなことをとことんやるのがいいと思います。
「やるべきこと」ではなくて「やりたいこと」です。
働いている間にはできなかったアレやコレ、ありますよね?
最後に
私が流産したのは、もう四年前のことです。
四年たった今では、会えなかった子供がお空にもう一人いるような気持ちです。
大丈夫です。
たった数週間だけでも、自分のお腹にいてくれたことを、幸せだったなと思える日が来ますよ。



そして私のようにブログに書けるくらい、気持ちの整理が出来るときが、きっとやってくるはずです。
この記事を読んでくださり、ありがとうございました。
私が流産の悲しみを癒すのに役立ったことをまとめた記事はこちらです。


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